「いつでもどなたでも経営学を利用できる」を標榜するサポーテストが
そこはかとなく「経営学をわかりやすく説明して、わかりにくく例える」シリーズ
今回のテーマは「ありたい姿」です。
さて、 ありたい姿の「ありたい」とはなんでしょうか。
ムエタイ、ヘンタイ、モーマンタイとイメージする方がいるかどうかはわかりませんが
「ありたい姿」とは、ざっくりというと「目標や理想」ということでよいかと思います。
他に「なりたい姿」とか「あるべき姿」とか似たような言葉があり、それぞれ意味が微妙に違うようですが
ここでは触れず、詳細を知りたい方は他サイトに詳しくありますのでそちらにお願いします。
で、この「ありたい姿」というのはビジネスパーソンにとっては非常に大切なもののようです。
というよりは、人生設計においてけっこう大切なものかもしれません。
●「でも、こんな時代に目標とか夢を持ったって仕方ないだろ。意味ないじゃん」
というような声が聞こえてきそうですが
ありたい姿を考えることで「今の立ち位置からどれくらい離れているのか」すなわち現状がわかります。
●「でも、こんな時代にありたい姿を考えたって、気がつけば全く違った方向に行ってしまうこともあるだろ。意味ないじゃん」
というような声が聞こえてきそうですが
ありたい姿を考えることは、その姿にどうすれば近づけるか、そのためにはどうすればいいかが客観的にわかります。そうすれば、そのありたい姿は実現可能なのか、どのくらい時間がかかるのか、修正が必要なのか、不可能なのかを知ることができます。
●「でも、こんな時代にありたい姿なんて、簡単にわかるのかよ」
というような声が聞こえてきそうですが
ありたい姿を考えることは、自分(の会社)が何をしたいのか、将来にどのような絵を描くのか、描けるのかを真剣に考えることができます。
この「真剣に考える」ことが必要であって、何度も考えていくと「自分に何が出来るのか」「自分は何がしたいのか」がおぼろげながら出てくるのではないでしょうか。
「私は、日本一従業員みんなが笑顔でいられる会社を作っていきたいんだ」
「私は、地域一番のお客さんが集う店にしたいんだ」
「私は、逆境にも負けない骨太の組織にしたいんだ」
というような声が聞こえてくれればいいんですが・・・
いずれにせよ
ありたい姿は、考えないより、考えた方が絶対良いと思います。
ただ、ありたい姿を設定するのが目的でなくて、ありたい姿にどう近づけていくかを考えることが大切なのではないでしょうか。
それが「戦略」にもつながるのではないかと思います。
※あくまでも個人の見解です。
以前、友人と「ありたい姿」の話をしている時
「自分の面倒を見てくれる人を探したい」と言ってました。
「何もしなくても給料をくれる」
「何でも思った通りに身の回りを世話してくれる」とも。
とめどなく希望を伝えてきましたが
「ひょっとして彼は、ありたい姿ではなく、彼にとっての ありがたい姿と間違えているのではないか」
「いや、むしろありがたい姿というより、おめでたい姿かも」
と感じたものの、言うと殴られそうなので自分の心に留めておきました。