泥舟さん日記です。
深く考えず、軽い気持ちでお読みください。
※文面は、サポーテストで再構成しております。あくまでもフィクションですのでここに出てくる人物・会社・団体名は存在しません。「ノンフィクション風」ということでご理解いただければ。
文章のみですので、それぞれで捉え方をしていただきたく、深く考えず軽い気持ちで想像力を働かしながらお読みください。
その④『年度末にふと考えたこと』
やわらかな春の陽射しがガラス越しに伝う。
今日もまどろみの中・・・いや会議中に考えてみたことがある。
「なぜ、人はやる気を失うのか」
会社でもプライベートでも
「やる気のあったあの人が、あんな覇気がない人に変わってしまうなんて・・・」みたいなことを耳にすることがある。
世間的に「あの人は変わった…」とか陰口たたかれるのは「やる気⇒やる気ない」に変わった人のことなのだろうと思う。
ちなみに「オマエはやる気があるのか」といわれると今は甚だ疑問ではあるが。
ところで、「やる気になる」というのは報酬、すなわちお金なのか?
たしかに「この仕事成功したら即金で100万円」とか言われると、とりあえず死ぬほど頑張るだろう。
でもそれだけなのか?
成功しまくって何百万も稼ぐと、飽きてくるのではないだろうか。
同じ一口目でも空腹時と満腹時は違うように。
まあ稼いだことがないのでわからないのだけれど。
人間の欲求には「周りに認められたい」という承認欲求というのがあるそうだ。
会社に入って仕事を覚えると
「あいつは前任者を上回った成績を残している」と評価されたり
周囲から
「あいつがいなければ仕事が回らない」とかいわれると
「ああ、一生懸命に頑張ってきてよかった」という思いになるものだ。
おそらく人間は、居場所がなかったり、周りに認められないと感じた時
「これだけやっているのになんで認めてくれないんだ」という思いになるような気がする。
そうなると
「もうこんなことなんて、やってられないよ」と
いわゆる、「やる気」が減少していくことになる例も多いのではないか。
もちろん、それはご本人にも問題がある場合が多いと思うが。
「これだけやっているのに」の「これだけ」の単位が他人より小さいとか(自己過大評価とも言う)。
ちなみに
「自分がこうなりたい」という自己実現欲求というのもあるようだ。
「私はこういう目標があるから頑張る」というのがそれだそうだ。
この場合は、周りとかではなく自分自身の「やる気」の問題なのだろう。
「やる気になる」ということに関していえば
周囲がどうこうというより「自分がどうしたいか」の心持ちになるべきなのかなとは思う。
と、少し風が吹けば崩れていきそうな気持ちの自分や社員たちに言い聞かせあげたいのだが。
「とりあえず、頑張ったらもう少しくらい給料上げてやっても罰は当たらないだろ」
と、時間もすっかり長くなった夕暮れに強く強く強く願うのであった。
今回のわかったこと
『何でも考え方次第でやる気になることができるが、会社が正当な評価をしてあげないと、気持ちが離れていくだけである』