「いつでもどなたでも経営学を利用できる」を標榜するサポーテストが経営学のについて、そこはかとなくサポーテスト的に考えるシリーズ、今回のテーマは「共感」です。
そもそも「そこはかとなく」シリーズは
「経営学をわかりやすく説明して、わかりにくく例える」ことを主眼においておりますが
正直なところ、「共感」は経営学のフレームワークでもなんでもありません。
しかしながら
経営学は「共感」を得ないと前に進まないというのも事実でしょう。
共感とは「他人の考え、主張、感情を、自分もその通りだと感じること」
経営も社会も人生も共感されてこそです。
決して自分ひとりでは生きていけないのです。
では、共感がなぜビジネスに必要なのか?
まず「顧客の共感」
お客様が商品やサービスを繰り返し購入してくれるのは、それに共感してくれているからなのだと捉えることができます。
そして「社内(現場)の共感」
何らかのアクシデントにより現場で人員が欠けたとしても、何事もなかったかのようにそれをカバーできるチーム力や現場にいる各々の技量(スキル)はチーム全員が互いに共感をしていることで生み出されていると言っていいでしょう。
あとは「会社(経営者)への共感」や「社会の共感」など
経営者の考え方に共感すると離職率が下がるようです。また、自社の商品やサービスが人の役に立ち、大きく社会に貢献すると人々の共感を得ることができます。
これ以上の展開は筆者の知識的に無理ですので「共感を呼ぶ商品やプレゼン」や「共感のメカニズム」などについてもっと知りたい方は他サイトに詳しいと思いますので、ぜひ、そちらに。
こう考えると
「共感を得ないと、(広い意味での)ビジネスは成功できないし、たとえ共感を得ずに成功したとしても、決して長続きはしない必要不可欠なもの」
と言えるのではないでしょうか。
人生も同じで、彩のあるシーンは共感で成り立っています。
まず「家族の共感」
「一人で大きくなった」と思っている人でも、とりあえず生まれたことや、どうにかこうにか育ったことは少なくとも家族の共感があったからなのではないかと思うのですが。
そして「友達をはじめ、周辺の方たちの共感」
直接アドバイスをもらわなくても、愚痴を言ったり、そばにいてくれるだけでも結果的に救われたことはあるのではないでしょうか。これも友達や周囲がある種の共感をしてくれたからなのでは。
あとは「恋愛の共感」
共感してくれるので恋愛になりますが、なぜか時間の流れの激しさは共感という岩を砕いていくことも多々あります。ホントに共感のアップデートはあるのでしょうか。
あとは「会社の方針に共感」
出世欲の強い方によくあります。なかには、目を伏せて共感したり、どうでもよくなると共感すること自体が邪魔くさくなることもあるみたいです。
あとは「権力者に共感」
存在が大きければ大きいほど、共感するフリをした方がいいこともありますし、共感できないのは自分が間違えているからに違いないと思い込むことにしている人も多いでしょう。自分の身を守る術のひとつです。
それはともかく
ビジネスでも人生でも、共感されるということは
「理解してくれる」「味方になってくれる」ということで、居ないより居た方が良いに決まってます。
共感があってこそ、豊かな会社経営や人生を歩めるのではないかと思います。
もし、何かしらの迷いがあった時は
「ホントに共感しているのか・されているのか」「共感されるにはどうすればいいか」と「共感」を切り口に考えてみるのはいかがでしょうか。
ひょっとして
人生やビジネスでの劣勢の状況に追い込まれているの時に、「共感」は反撃開始への立派な材料になってくれるかもしれません。
※あくまでも個人の見解です。
私の友人にいつもダメな人に共感してしまう方がいます
その方は、共感するとあまりロクなことがないのはわかっていても、つい心を許してしまうようです。
その方は、共感が終わる度、後悔しているようです。
その方は、不幸になるとわかっていても何度も共感してしまうそうです。
ふとした心の隙間があった時、人とは違ったいわゆる「ダメな人」にインスパイアされるのでしょうか。
「いいかげん、ダマされるなよ」と言っても
その方は、もう「ダメ人間共感病」は治らないのではないかと思います。
ただ、共感している時は楽しそうなので、ある意味、それはそれでいいのかもしれません。